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6歳の私よ、こんにちは|Ane会

先日甥っ子の誕生日を祝うため、滅多に近づかない実家へ久しぶりに出向いた。

私にとっての実家は、懐かしい匂いのするちょっと落ち着かない場所である。

実家で生活していた過去の自分に、「そこ、居心地が良かった?」と尋ねたいくらいだ。ちなみに家族との大きなトラブルは、特にない。

求ム!プライベートな空間

勉強机は妹と並んでいて二段ベッドのある部屋。両親の寝室とTVのある居間はドアではなく引き戸で常に開けっ放し。

思春期の頃、小さくてもいいから鍵付のドアがありプライベートが保てる部屋が欲しかった。その反面、父親の前でも堂々と素っ裸で歩き(散々両親に注意された)、特に大きな反抗期もなかった。

自分の部屋が欲しい望みはずっと心の中でくすぶっていたようで、23歳になった私は意を決したら即実行、ほぼ着の身着のまま後ろを振り返りもせず逃げ出すように実家を飛び出した。

飛び出した先は、やっと手に入れた初めての「自分の城」だったこともあり、好きなように巣作りをした結果、恐ろしく居心地がよくなって早18年。それが現在に至る。

なお、実家に残された私の大量の荷物はというと、明らかに不要なもの以外は母より連絡が入り、残すか廃棄するかの選択肢を与えてくれていた。

そんな荷物整理はもう終わったはずの甥っ子バースデーの日、実家を訪れた私へ母がすかさず「捨てるか残すか決めて欲しいものがある」と言い、埃にまみれたカビ臭い山のような紙束を出してきた。

恐る恐る紙束をめくると、それは私が幼稚園に入園していた4歳~6歳時に描いたたくさんの絵(およそ100枚ほど)であることが分かった。

大きな画用紙に描かれたもの、複数枚の絵を可愛らしいピンクのリボンで纏めてある冊子、幼稚園のお絵かき帳と折り紙も複数冊。よくもまぁこれだけの量を保存していましたね、母よ!という状態である。

小さなころから紙と鉛筆さえ与えておけば大人しいと言われる程私は絵を描くことが大好きな子どもで、いつだって右手の中指には大きなペンだこがあったし、画用紙では紙が足りず、朝夕の新聞と共に届く裏が白い広告を祖父母が選り分けそれにすら喜んで絵を描いていた程だった。

因みに、不動産の広告で間取りがあるものに「ここは私の部屋で…」と妄想するのも好きだった。

アニメを真似したような絵から、お決まりのブリブリお姫様とスラリ王子様といった今より明らかに女子力を感じるメルヘンな絵、奇怪な模様の絵。

母親や祖母と一緒に埃まみれの思い出を1枚1枚めくり眺めながらあの頃の私の思い出話に花が咲く。恥ずかしかったり、大笑いしたり、温かい気持ちになったり。

そして最終的に、「残しておいてもねぇ…」と、5枚程気に入ったものを写真に撮り、全部廃棄を母へ依頼した。

絵本と6歳の芸術家

絵の廃棄と甥っ子のお誕生会を終えたその夜、「自分の城」へ帰宅した私は撮影した5枚のうち1枚の写真を眺めていた。裏には「エルマー」そして自分の名前と「6歳」という年齢があった。

絵本「ぞうのエルマー」―恐らくカラフルな色使いが理由で大好きな絵本だったことは記憶している―の物語中の1コマを描いたようなのだが、どんな物語だったのか、6歳の私はどんなシーンを描いたのか、なぜか不思議と気になりだした。

大木が2本両脇にあり赤い水玉がたくさん散らばり、なぜかエルマーらしき象がその大木にぶら下がっていて、体の色が中途半端。そして鳥が飛んでいる。どっちが天井でどっちが地面なのかも解らない。そもそも象は木に登れない。この絵を私と一緒に見た母と祖母の感想は、「あんたは昔から性格が変わっていたけど、絵も変わってたんだねぇ。」であった。

「なんでそんなにエルマーが好きだったの?」写真を見つめながら35年前の自分に問いかける。

小さいころから人の名前を覚えるのが苦手で、男の子に混じって遊ぶのが好き。何時間でも絵を描き続けることのできる集中力も興味がない事にはてんで駄目、紫色が大好きだった6歳の私。

至って真剣にいつも話をしているのに、周りのみんながなぜだか笑う。私は、笑わせようとしているわけではないの、大真面目なのだけど!と訴える、そんな「変わっている子」「面白い子」と周りから評されていたのが懐かしい。

だが実のところ、「変わっている子」「面白い子」が当時は非常に不愉快だった。いわゆる、コンプレックスなるものだったのだろう。自分では変わっているとか面白いとかこれっぽっちも思っていないし狙っていない、いつだって真剣だったのだから。

結局この絵の意味も物語も全く思い出せないので、自宅近くの図書館へ出向き、背の低い本棚が並ぶ児童書コーナーで絵本を探した。

「ソ」の本棚から見つけ出した「ぞうのエルマー」、35年ぶりに手に取った絵本はなんだかとても小さく感じた。ドキドキしながらページをめくる。残念ながら、私はこの絵本の物語も挿絵もすっかり忘れていた。

だからなのか、まるで秘密の宝物を見つけたかのような、ウキウキワクワクの気分で読み進めることができ、あっという間に読み終えてしまった、それと同時にかなりの衝撃を受けた。

6歳の私がこの絵本を好きだった理由がすぐさま理解できたのである。

この絵を描いた当時6歳の私は、無意識に絵本の中のエルマーと自分を重ね合わせていた。

6歳の私も、41歳の私も、とても好きだよ

エルマーは人気者。

でも自分(エルマー)だけなぜ他のぞうと違う体の色なのか、それが理由で皆は自分のことを笑うのかな?と、鮮やかなパッチワーク柄の体にコンプレックスを抱いていた。

以降、詳細な中身は割愛するが、この絵本は外見で人を判断しないよ、他人と自分を比べる必要もないよ、自分はありのままの自分でいいのだよ、それは素敵な個性なのだから!と教えてくれるような内容であり…。6歳の私が描いた場面は、エルマーが他のぞうと同じぞう色の体を手にいれるべく、ぞう色の実(なぜか私の絵は赤い実だが)で自分のパッチワーク色をぞう色に塗っている姿だった。

だから絵の中のエルマーは体の半分がぞう色で半分がパッチワーク色、そして木に登っているのではなく、寝ころがって楽しそうに体中をぞう色にしている。

他のぞうと同じになるように変身してゆくエルマーを見て、6歳の私は、エルマーが羨ましかったのだと思う。「変わっている」「面白い」と言われない、周りと同じ「」になりたかったのだ、だからこのシーンを描いたのだ。

絵の整理をしていて偶然発見してしまった、小さいながらもコンプレックスを抱えていた(当時の自分は間違いなく無意識)6歳の私。安心してね!って、もう遅いけど。

35年後のあなたは、そのコンプレックスに悩むことはあれども、うまくコントロールして楽しく生きているよ。

たくさんの愛情に支えられて、たくさんの理解者に恵まれて、たくさんの人に助けてもらいながらも、伸び伸び毎日を過ごしているよ。涙する日もあるけれど、笑い転げている日のほうが多い。

少しずつ、「変わっている」「面白いね」が好きになっていったよ。「変わって」いて「面白い」自分で良かったって、今は思えるよ。

6歳の私が描いた絵から湧き出た思いは時空を超えて35年後の自分に大切なことを気づかせてくれたように思う。

当時思いもしなかった自分でも気づかなかったことを、まるで訴えるかのように、でも偶然でしょう?というように、面白おかしく、そして優しく。

廃棄予定だった絵は、翌日母へ急ぎ連絡し何枚か手元に残したいので捨てないでほしいと頼んだ。「あら、よかったわ。明日が資源ごみの日だったから出す予定だったのよ!」と母が教えてくれた。

次のお休みは、懐かしい匂いのするちょっと落ち着かない実家へ行こう。

絵を残しておいてくれた母親にありがとうを言おう。そして、6歳の私に会いに行こう。

大切な思い出と私を抱きしめながら。

 

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Written by

平あさひ (ひら あさひ)
1976年夏産まれ。15年間の毒々しい女子校生活を経てメーカー勤務、現在に至る。好奇心探究心旺盛で思い立ったら吉日だが熱しやすく冷めやすい。暇とお金があれば旅・食・呑・犬・脂質異常症。さえずり@hiraasahi

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