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日本人女性初。世界銀行人事マネージャーが日本に帰ってきた理由

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海外生活〜外資系企業のマネージャー

中野さんは、短大卒業後に20代のほとんどを語学留学していたイギリスで過ごします。その後、ロンドンの日本企業でツアーオペレーターなどをしながら、英国生活を続けてきました。そして、日本の金融市場が自由化されるタイミングで帰国。

「ちょうど日本の金融市場がオープンするタイミングで日本に帰国。そのときにある外資系企業の金融機関立ちあげメンバーとして働くことになります。人事を担当するバックオフィスマネージャーとして、最初は2人から始まった会社が、120人にまで成長していきました。」

しかし、競争の激しい金融業界の中で、中野さんの会社は、後のバンク・オブ・アメリカに吸収合併されることになりました。

「吸収合併されることに伴い、人事担当者として、大変な課題が降りかかりました。それは、120人いる社員を合併までのわずかな期間に、80人に減らせ!というものでした。外資系企業の場合、リストラ時に社員から解雇をめぐる訴訟を受けるのは当たり前の文化です。このミッションは大変なものでした。」

こうして、人事マネージャーとして、リストラをしなくてはいけない状況がやってきました。

「とにかく、一人ひとりと懇切丁寧に話しをして、それぞれの人生のタイミングを考えた上で、選んでもらうことは、心に決めていました。その結果、一人の訴訟もなく、全員円満退社で次のキャリアを歩んでもらえることができました。会社としては、訴訟用の予算を確保していたのですが、それを使わずにすんだことと、一人の訴訟もなかったことが、信じられないことだと言っていました」

この成果が後の中野さんの大きな転機につながっていきました。

世界銀行へヘッドハンティング

合併先のバンク・オブ・アメリカに80人で転籍し、1年が過ぎた頃。中野さんに女性のヘッドハンターから突然連絡が来ました。

「『ある銀行のポストに中野さんを推薦したいのですが、』と突然連絡をもらいました。しかし、そのポストの条件が、”心理学か人事学の大学院卒・国際機関での10年以上のマネージャー経験・人事部門での経験”というもの。人事部門での経験しかあてはまってないし、リストラをした人に申し訳ないと一度目はお断りしたんです。」

なぜ、ポストの求める条件が合わない中野さんに声がかけられたかというと、先の訴訟なくリストラを実行できたことが、金融業界の中で、大きな成果だと話題になっていたからだそうです。

その後、数週間経ってから、女性のヘッドハンターから再度の連絡がありました。

「『やはり、中野さんを推薦したい。ワシントンD.C.までの往復航空券を出すので、面接だけでも受けてきてくれないでしょうか。』とのことでした。私も半分旅行気分で、ワシントンD.C.に行けるならとついOKしちゃいました。その後、面接を受け、観光をし、日本に帰国しました。その後、世界銀行から人事マネージャーとして採用したいと連絡があったんです。」

そして、1993年日本人女性としては初の人事マネージャーとして、世界銀行に赴任することになります。

世界90カ国の人が働く職場から

世界銀行は、120カ国以上、10000人の職員が業務にあたっている組織。

(編集部注:世界銀行は、世界中の途上国にとって欠かせない資金、技術援助機関です。世銀は普通の銀行とは異なり、貧困削減や開発支援を目的とした他に例のないパートナーシップ機関です。世銀グループは5つの機関で構成されており、その重要意思決定は加盟国が行います。世界銀行グループ(本部所在地:米国ワシントンD.C.)は1944年に設立され、その当時は1万人以上の職員が世界120か国以上で業務にあたっていました。)

この中で、中野さんは、2年目から人事カウンセラーとして、90カ国1,500人の人材育成・マネジメントを担うことになります。

「世界銀行では、多様な人種、国籍の人たちが業務を進めていきます。その中で、人間同士合う合わないということが出てきます。日本の場合は、そこで『我慢して働け!』となるんですが、世界銀行は違いました。能力だけでなく、人間関係も加味して、適材適所に配置することで、生産的な仕事ができるという考え方の元に業務が行われます。人事カウンセラーとして、この適材適所に配置することが、主な役割でした。」

この考え方は、『ケミストリーマッチ』といい、人間同士、馬が合う人と仕事をすると、より生産的に仕事をしていけるという世界基準の考え方だと教えてもらいました。

ここでも中野さんは、誠心誠意仕事にあたる、3年の任期が、6年まで伸びることになりました。

世界銀行での仕事は大変充実していました。しかし、日本を離れていた1996年。社会問題となった17歳の自殺が続くできごと。やオウム真理教のテロを見て、日本に戻って何かしないと!と思うようになりました。その思いが強くなり、『日本の国づくりのために帰国します。」と辞表を提出しました。同僚からは『政治家になるのか?』と聞かれましたが、私は、個人ベースの活動で貢献したいと思い、帰国しました。

こうして、世界銀行での活躍を経て、1998年に日本に戻ってきた中野さん。宣言通り個人ベースでの活動を続けていくことになります。

お話を伺った方

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中野裕弓さん

カウンセラー、人事コンサルタント。9年間の英国生活の後、東京の外資系銀行勤務を経て、1993年よりワシントンD.C.にある世界銀行で4年余り、人事カウンセラーとして多国籍の職員のキャリアや職場の人間関係のアドバイスにあたる。帰国後独立し、人生を楽しく活きるコツや心の持ち方、子供を取り巻く環境の改善などをテーマにした講演活動や企業の人事アドバイスを行ってきた。ベストセラー『世界がもし100人の村だったら』の原訳者としても知られる。最近はソーシャルリース(社会の環)という構想を打ちたて、世界中の人々が有機的につながる社会のあり方を提唱すると共に、女性達によるコミュニティづくりの支援にも力をいれている。

著書

『自分の心を満たす31の方法』
『100人の村と考える種』
『3つの箱~人生が一瞬で変わる思考整理術~』

など多数

寄稿者について

株式会社日淺Ane会Times編集長編集長・日淺 光博
Ane会Timesの編集長をやっています。会食、イベント、仕事でのつながりを通して、3年間でのべ1,000名以上の女性とお会いしてきました。お会いした方々のエピソードもご紹介させて頂きます。

更新の励みにもなりますので、こちらからご意見・ご感想など お聞かせ頂けると嬉しいです!

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