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東日本大震災からの復興。地域に根ざし、地域と共に歩む・石巻日日新聞 報道部

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3月7日、宮城県石巻へ。5年目を迎える石巻も、まだ震災の爪痕がはっきりと残っています。Ane会Timesでは、創刊以来100年、石巻の人たちと歩み続けてきた石巻日日新聞 報道部の皆さんを訪ねてきました。

復興歴史を後世に残す”絆の駅石巻NEWSee”

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石巻の復興の歴史を語る上で、欠かせないのが、石巻日日新聞が震災直後に発行した壁新聞。その新聞は、ジャーナリズムを象徴するものとして、アメリカのワシントンDCにあるニュース博物館「Newseum」に展示されました。

今回の震災取材で、まっさきに取材したいと思ったのが、石巻日日新聞さん。3年前、情熱大陸の放送を見て以来、いつか直接お会いして、お話を伺いたいと思っていました。

石巻に到着して、最初に伺ったのは、2012年に石巻市の中心部に完成した「絆の駅 石巻NEWSee」震災当時の石巻日日新聞の報道部長で、現在、同館の館長を務める武内さんにお話を伺いました。

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(あっ。武内さん発見!)こんにちは。情熱大陸拝見しました!今日はよろしくお願いします。

武内さん

そんなそんな、ずいぶん前のことを(笑)なんでも聞いてください。

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早速ですが、震災当時の様子を教えてください。

武内さん

2011年3月11日、14時46分。日日新聞は、14時が、その日の記事の入稿期限なんですが、その日の入稿も終わり、記者が現場に取材に行っている時間でした。

そんなときに地震が発生しました。

その後、津波の被害などのニュースを目にし、記者は無事に帰ってくるのだろうか。携帯電話もつながらず、最後の記者が、戻ってくるまで、気が気でない状況が続きました。

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石巻は甚大な被害がありましたからね。(死者数、行方不明者数合わせて、3,971人と市町村単位では、最も被害が大きかったのが石巻市)その中で、壁新聞を発行しようと思ったのはなぜなんでしょうか。

武内さん

輪転機も止まり、市内の状況も含め、全く不透明に状況になりました。そんな中で、記者たちが持ってきた情報も、「◯◯壊滅」というものばかりでした。

被災者の方々は、なんの情報もなく、不安でいっぱいのはず。ペンと紙さえあれば、自分たちは、伝えることができるんだ。今だからこそ、ジャーナリズムの原点に返って、新聞を発行し続けよう。

報道部が一丸となって立ち上がった瞬間でした。

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そうなんですね。でも、記者の皆さんは、石巻市出身の方ばかりなんですよね。みなさん、自分の家族たちの心配はなかったんでしょうか。

武内さん

たしかに、日日新聞で働く記者たちは、地元出身の人たちばかり、家族や親戚も被災していますし、自分たちも被災者の一人です。だからこそ、地元に根ざして、地元の人のために自分たちが何ができるのか。そういう使命感が、自分たちを支えていました。

「いい言葉は、心のビタミン」

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目を覆いたくなる現実でも、伝えることに徹したわけですね。

武内さん

壁新聞を発行した当初2日間は、「壊滅」「復旧の目処たたず」「被害情報」と暗くつらいニュースばかりを伝えていました。それでも伝えていこうと。

当時記者が持ってきた情報は、12日に被災者に配られたのは、一人につき、あめ玉1つ。13日には、ひと家族で、パンが1つ。といったものばかりでした。1つの避難所に多いところで、4〜5,000人いたところもあったんですから、しかたのないことです。

しかし、3日目の壁新聞を作るときに、単に情報を伝えるだけでなく、少しでも希望を持ってもらえる内容にしようと一新したんです。

P1040744震災翌日の壁新聞(地震の一報を伝える)

P1040746震災翌々日の壁新聞(各地の被害状況。壊滅の文字がならぶ)

P1040748震災から3日目(物資供給や給水情報など、明るい話題を掲載)

武内さん

当時、ほんとに紙とペンしかなかったから、修正するにも上に紙を貼って書きなおしていたんですよ(笑)でも、それぐらい自分たちも必死でした。

P1040757手書きで修正したあとがそのまま残っている壁新聞

震災から5年目

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震災から丸4年。これから5年目を迎えるにあたって、今の状況をどう感じますか。

武内さん

子どもを亡くした母親と話したときにこんなことを言っていました。

「私は、2人の子どもを震災でなくしました。上のお兄ちゃんは、見つかりましたが、娘は、まだ見つかっていません。行ってきますといった娘のただいまをまだ聞いていないんです。」

と。

震災当時に比べれば、石巻市内も建物の復興は、徐々に進んでいます。

でも、私は思うんです。心の復興は、果たして進んでいるのだろうかと。目に見える復興ではなく、目には見えない復興というのが、これからの課題だと思っています。

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遺族の方の心の整理は、簡単にはつかないですよね。

武内さん

石巻市では、未だに行方不明の方が、400人以上います。その人たちは、今どこにいるんだろうと考えることがあります。

物理的な意味ではなく、まさに心の面で。

おそらく、家族の方々は、「会いたい」という思いがあると思います。なおさらそう感じているのではないでしょうか。

復興を背負う覚悟

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心の復興を考える上で、今は、子どもたちに震災の様子を伝えていると伺いました。

武内さん

震災当時は、子どもたちに話さないというが、暗黙のルールとしてありました。心に傷を追った子も大勢いましたからね。

でも、今は、小学校や中学校で、向き合う授業を行っています。震災復興といいますが、それこそ、20年、30年かかることです。復興の最後の仕上げは、今の石巻にいる子どもたちが担うことになります。だからこそ、今、何があったのか、子どもたちに向き合ってもらおういう取り組みが始まっています。

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震災と向き合うことで、何があったのか考える時期にきているんですね。

武内さん

今までは、多くの方々が、震災であった出来事を、抱える時期でした。(ものを抱える動作をしながら)抱えるということは、目線がどうしても下を向いてしまいます。

それを背負う時期にきていると感じます。抱えていたものを背負う。背負うと、目線もまっすぐに前を向くことができるんです。

5年目の歩みは、あの出来事を背負い、前を向いて歩いて行くことができるものにしたいと思っています。

石巻日日新聞報道部へ

石巻NEWSeeでお話を伺ったあと(前回取材)、Ane会Timesは、

「石巻日日新聞の100年の歴史の中で、初めての女性報道部長なんです。」

と武内さんが誇らしげに話しをしてくれた、報道部長の平井さんに会いに、石巻日日新聞さんの本社へ!分刻みのスケジュールが続きます!受付を通って、さっそく報道部へ突入しました。ほぼ突然の取材いらいだったのに、快くお話を聞かせてくださいました。

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寄稿者について

株式会社日淺Ane会Times編集長編集長・日淺 光博
Ane会Timesの編集長をやっています。会食、イベント、仕事でのつながりを通して、3年間でのべ1,000名以上の女性とお会いしてきました。お会いした方々のエピソードもご紹介させて頂きます。

更新の励みにもなりますので、こちらからご意見・ご感想など お聞かせ頂けると嬉しいです!

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