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第1回:花柳界からフラワーデザインの世界へ華麗に転身。

1 日本最高峰の花柳界


 

花千代さんは、80年代半ばから12年間、活気のある、華やかな花柳界で芸者として活躍をしてきました。

時代は、バブルに向かう右肩上がりの時代からバブル後の閑散とする時まで。
そこで、花千代さんは、日本一と言われた新橋花柳界を代表する芸者に成長していました。

「一般的に、芸者というと、踊りを踊って、お酒を注ぐ仕事に思われますが、それは、あくまでほんの一部なんです。本来の仕事は、正式な作法に乗っ取り、お客様の接待、商談が、滞り無く進むサポートをする役目。

・提供する料理
・事前の打合せ
・会合、接待の趣旨
・場に合わせた踊り

など、事前の段取り、準備までは料亭の女将さんの仕事ですが、その後宴会がはじまってからの本番は、女将さんから引き継いだ重要事項を頭に入れながら、お座敷で芸者が臨機応変にサポートしていくのです」

Q.そういった厳格な環境で、花千代さんは、180名(当時)いる中で、3本の指に入るほど、活躍されたそうですね。

「芸者の仕事は、待っていれば来るというものでもありません。お客様から指名を受け、その上で、先に話したような、段取りから入らせて頂く場合がありま す。一流企業の社長や政界を代表する方など、一流の感性をお持ちの方に、どうやって満足頂けるか。一回一回が、勝負でした。その積み重ねで、徐々に指名頂 けるようになり、結果的に芸者として売れっ妓になれました。」

Q.具体的にはどういった努力をされたんでしょうか。

「芸者として大成するためのポイントは”選ばれること”。これは、様々な職業に言えることだと思います。そのためには、努力が必要です。私が当時いた芸者の世界で選ばれる人の特徴は3つ。

 

・広く浅く知識を持ってどんな話しにも対応できる人
・深い専門性を持って、この話しなら誰にも負けないという人
・朗らかで、その人がいるだけで場の空気が明るくなってしまう人

 

全然違うように見えますが、共通するところは、

”チャームポイントを持っているということ“

私の場合は、テーブルコーディネートや和モダンのデザインを学び、他の人にはない、私だけの広い知識と実践を通して、お客様に選ばれるようになりました。
自分が”表現者”として、何ができるのか。
自己表現をしっかりできたことで、お客様に”選ばれる”ようになったと思っています。」

こうして花柳界で、大きな足跡を残した花千代さんが、32歳でフランスへ突然の留学。
今のお仕事につながるフラワーデザイナーの第一歩を歩み始めます。

 

2 突然のフランス留学


Q.突然とも思われるフランス留学をされたきっかけは何だったんでしょうか。

「大きく言うと、時代の変化と内面の変化、年齢の変化でした。」

Q.まずは時代の変化について教えてください

「私は、バブル期をまたいで、12年間芸者として芸の道を極めるために花柳界にいました。バブル期までの花柳界は、先にお話したような、一流の方が、一流の方を接待する場所。そこには、お客様も含めて、陰に陽に様々なしきたり、作法があり、その世界観ができていました。

ところが、バブル期崩壊後は、真っ先に削られたのが、接待交際費。

お客様も最盛期の3分の2まで減少し、芸者の数を減らすために、カラオケの持ち込みなども始まり、日本文化としての花柳界が、だんだんと変化してきた時期でした。」

Q. 時代の変化とともに、花千代さん自身にも変化が生まれたんですね。

「そうなんです。内面の変化もありました。これまで、「千代菊」という芸名で活動していたのですが、それは、一流の世界の中での役割を演じる仮の 姿。80歳を超えても芸者を続けているお姉さんもいましたが、私にとっては、いつまでもそうしていることが”幸せ”なのかと考えるようになり、自分の本名 で勝負できるか試したいと考えるようになりました。」

Q. そこに、年齢の意識もあったということですね。

「はい。自分の力で勝負するのであれば、芸者時代に休暇で訪れた海外で、特にフランスで勝負をしてみたいと思っていました。海外に住み、見識を広げ ると同時に、全く新しい環境で、自分に付加をかけて、成長したいと考えたんです。そのためには、32歳という年齢がギリギリの選択でもありました。」

Q. 実際にフランスに渡り、どのように過ごされたんですか。

「フランスには4年間住んでいました。最初の1年は、地方都市の語学学校で、フランス語学んでいました。そこでは、日本人もほとんどいない、全く新 鮮な環境でした。その後、2年目、3年目とフラワーデザインの学校に通いました。当時まだ日本では花といえば華道が中心のなかで、フラワーデザインの本場 での勉強はとても刺激的なものでした。

そして、最後の1年間は、ピエールデュクレールというフランスの一流のフラワーショップで、研修生として勤務。そこでは、花を飾るだけではなく、空間装飾を現場で学ぶことになりました。」

こうして、フランスで4年間を過ごした花千代さんは、2000年の5月に帰国。
苦労をされながらも、念願の自分の名前で勝負するための会社を立ち上げることになります。

 

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