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高橋恵さん MegumiTakahashi

『おせっかいの人生録』


1戦後復興期の壮絶な学生時代

恵さんのお父さんは、戦時中に戦争のために他界。戦後復興の最中を高橋さん一家は、母と娘3人で懸命に生き抜きました。恵さんのお母さんは、復興の波に乗り事業を興し、一旦は成功を収めます。家庭もそれなりに裕福な家庭で幼少期を過ごしていました。

しかし、その期間も長く続きませんでした。母の事業が傾き、これからどう食べていくかという瀬戸際に立たされたのは、中学生の時。それでも母の思いとして、なんとか3人の娘を学校だけは出してあげたいと、3姉妹の次女だった恵さんは、高校に行かせてくれるという母と知人との約束で、他人の家に預けられることになります。

そこで、経験したのが、壮絶なイジメ体験でした。タンスの後ろに教科書を隠されたり、氷水のような痛くて冷たい水で雑巾がけをさせられたり、来る日も来る日も恵さんは涙にくれていたといいます。
大空を羽ばたく鳥を眺めては、『生きていくには、鳥だってエサを求めてどんなことをする。何でも出来る!!』生きて行くということを意識したのは、この哀しい気持ちで眺めたこの大空。

「私が14歳で固く誓った私の生き方のスタートでした。いつか私も自由に羽ばたける人生を送りたい」と願って。

2営業畑で鍛えられる日々

高橋恵さんは、短大を卒業後に広告代理店の営業職に就くことになりました。初めての仕事は、卒業した短大への訪問。就職の報告を兼ねて伺い、そこ で理事長に、熱心に話しをする中で、学生時代は近寄りがたかった理事長がお父さんのような身近な存在に感じることになり、ついには、企画書を提案するまで に話しが発展。その後ついに契約。
たくさん卒業生がいる中で、仕事の頼みに来たのは、恵さんただ一人だったそうです。
この経験から、契約を取るということは、どれだけ熱意で人の心を動かせるかだと肌で感じることとなりました。「人がいてはじめて仕事が成り立ち、そこにはじめて自分がある。」と恵さんは言います。

3なんでもまずは”いってみる”

「なんでもまずは”いってみる”」というのが恵さんの信条の一つ。いってみるとは、「言ってみる」と「行ってみる」そんなエピソードを2つほどご紹介。

”言ってみる”

営業職を続ける中で、恵さんは一軒家を建てたいという夢を持つことになります。そんなときに40坪ずつ区画整理された、理想的な立地の売地に出会ってしまいました。毎日その場所を通りながら、「どうしてもその場所に住みたいな」と願っていたそうです。しかし、40坪の土地では、どうしても資金が足りません。それでも 「一度話しを聞いてみるだけでも・・・」と不動産屋へと足を運びました。「思い切って20坪だけ売ってくれませんか?」と交渉。結果20坪でその土地を購 入できることになりました。”言ってみる”ものですね。

”行ってみる”

PR会社に勤務しているころ、大阪の番組枠にもクライアントの商品をとりあげてもらいたくて、直接10番組のプロデューサーにアポイントを取りま した。9番組はお会いして下さることになったのですが、残り1社のN氏だけは、駄目でした。電話口で、「東京からいらしても無理ですわ」と切られてしまっ たのです。私は切られたN氏のいらっしゃるテレビ局へ行き、「東京からいらしても無理だと言われたN氏のお顔だけでも拝見に、東京から参りましたので、是非にと。」 お願いしました。受付嬢も笑い出してしまいました。出ていらしたご本人も笑い、結局、喫茶室でお茶を頂いた上に、しっかり話まで聞いて下さったのです。そして新幹線の中ですぐお礼状を書いて投函。最初に仕事が決まったのが、その方の番組でした。無理といわれても行ってみるものです。

442歳で株式会社サニーサイドアップを創業

20代の頃から営業職での経験を積み重ね、結婚もされ、マイホームを持ち、2人の娘さんにも恵まれ、まさに順風満帆の人生を送っていました。そんな恵さんの人生の分岐点がやってきます。長年連れ添った旦那さんと離婚。

「学生の娘を2人抱えて、どうやって生きていこうか。」

悩みに悩み抜いた末、中野のワンルームマンションに事務所を構えて、1985年PR会社サニーサイドアップを立ち上げることになりました。当時高校生であった現社長の次原悦子さんも創業メンバーのひとりで、親子二人三脚でのスタートでした。

「いい? あなたに一個のレモンを渡します。このレモンを、あなたがレモネードにするかレモンジュースにするのかは、それはあなたの役目ですよ。会社の方向が定まり、光が見えた時にあなたに社長を譲って退きます。」

実際に8年後には、娘さんに会社の社長を譲り、恵さんは会社の経営から手を引くこととなります。

「娘に任せた会社は、レモネードどころかレモンの木として、大地にしっかりと根をおろしています。」

その後、恵さんは、経営の第一線からは退きましたが、次原悦子社長のもと、サニーサイドアップは、PR事業を中心に、スポーツマネジメント事業や新規ビジネスのプロデュース事業など次々と事業を展開。会社も成長を続けて、今では社員数100名を超える会社となりました。その根っこにあるのが、恵さんの思いやりの精神であることは、間違いありません。今でも、新入社員研修では、恵さんの自宅で座談会を開いて、会社の想いを伝えているそうです。最後にサニーサイドアップ現社長であり、実の娘である次原悦子さんは、言います。

『生きていく上で一番必要なものはなんなのか。まさに人との「絆」です。母のおせっかいを疎ましく思ったこともありましたが、「絆」の時代、今ほど母のおせっかいを誇らしく思うことはありません』恵さんは、まさに人のために自分の心身を捧げ、活動をしてきた人生。それをご本人は、「おせっかい」と言います。

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