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35歳からのハローワーク/わたしの働き方スタイルvol.1|Ane会

わたしの働き方スタイル

氏名:M.T(38歳・既婚・3児の母)

 22歳 大学卒業後、新卒採用で商社へ就職。海外サポートグループへ配属
  ↕ 主にタイ駐在所への輸出貿易事務を担当
「仕事をすること」「自分がやりたいこと」に漠然とした不安
手探り状態で資格取得を目指す。24歳の時に色彩検定1級を取得
 25歳 退職。転職については未定
渡英
派遣社員として出版社で広告宣伝事務に就業
 26歳 派遣先で契約社員となる。広告宣伝(主にウェブ担当)を担当
 27歳 契約社員から社員となる。広告宣伝、オンラインショップ運営を担当
 29歳 結婚
 30歳 第一子を出産し育児休暇を取得
 32歳 時短勤務で復職後、第二子を出産し育児休暇を取得
 34歳 部署異動。時短勤務で復職後、第三子を出産し育児休暇を取得
 35歳 時短勤務で復職。
  ↕ カスタマーサービス部でお客様対応について習得
 38歳 退職。ベンチャー企業へ就職

趣味・特技

趣味:子どもたちのアルバム作り・撮りためたドラマを見て泣く
特技:3人の話を同時に聞き分ける

わたしの夢

仕事を楽しむ。子どもとたくさん遊ぶ。
2年に一度はリゾートに行きたい。
スポーツジムでリフレッシュする。

自分が何者か。何になりたいか。

大学時代「貿易売買論」を専攻していたことより、卒業後は商社の海外業務を希望。希望通りの職種に就いたが、社会人として働くことに迷いが生じた。

その理由は、「イメージギャップ」と「やりがい」。

仕事に対してまっすぐな気持ちになれなかったことで、日々会社に行くことに疑問を感じるようになる…。

自分がやりたいことが他にあるような気持ちと、自分に自信を持ちたい一心で、当時モノトーンばかりを好んでいた自分を変えようと「色彩検定」を受けてみることに。

やると決めたらとことんな性格なので、とりあえず1級を取得した。しかし…その先を決めかねていたこと、会社を辞める勇気がなかったことで、動き出せなかった24歳のわたし。

すべてを失った25歳

すべてを失うと言うには少々大げさだが、当時は喪失感でいっぱいだった。

悩んでいるわたしに追い打ちをかけるようにってくる仕事。そして、6年間付き合っていたパートナーとの別れ。20代の若さを持ちながらも全くキラキラできず、気持ちがどんどん沈んでいく毎日。

そんなある日、尊敬する30代の先輩に言われた一言。「仕事を辞めるのは悪いことじゃないよ。」

これまでずっと敷かれたレールの上を歩いてきたわたしに、人生の途中下車の選択肢ができた。すぐに便箋を購入し、とにかく自分を変えたい一心で退職願いを提出。

職を失う。人生のパートナーもいない。本当の意味で0からの再出発が始まった…。

再出発までの道のり

退職後、すぐに派遣会社で登録を済ませたものの、やはり「何がしたいのか?」がはっきりしない自分との戦いは続く。

ちょうどその時、妊娠中の姉がイギリスで生活をしていたので、姉を頼って渡英することに。大人になって、ゆっくり姉妹で語り合う貴重な時間。毎日、色々なところを観光したり、日本食を求めて似た食材を買いに走ったり、家の裏のカモに餌をあげたり。

半月ほど居候したことが、とても心を落ち着かせてくれた。

姉はこのあとイギリスで出産を控えている。

今の自分は何もないけど、東京に戻って頑張ってみよう。まずは「働く」を好きになるように。自分をもっと知ろう。

イギリスからの帰り道。そんなわたしに1本の電話が。派遣会社から「お仕事してみませんか?」と。

「働く」ことの再出発

忘れていた派遣登録。ありがたいことに、イギリスからの帰り道でいただいた電話だったので、即OK。出版社で広告宣伝事務として就業することができた。

部長から「色彩検定」取得についても興味を持ってもらい、色見デザイン選択の仕事もさせてもらった。

そののち、派遣から契約社員として、広告出稿の担当となる。仕事の幅も広がり、残業ばかりの生活だったが、無知なわたしはがむしゃらにならざるを得なかった。

27歳で正社員となると、さらにオンラインショップの運営業務も担当となり、日々目まぐるしかった。「なんでこんなに…?」と思うこともあったが、今思えば、この時のがむしゃらが30代、そしてこれからの40代につながっていくことになるので、とても良い経験だったことに違いはない。

結婚、そして3度の出産

29歳で結婚するころには、それまでがむしゃらだった仕事も、なんとなく上手くこなせるように。チームのみんなとも和気あいあいと、日々楽しい毎日が過ごせるようになってきた。

そして、30歳で妊娠。仕事を辞める気持ちは一切なく、ありがたく産休・育休をいただくことに。

仕事から離れてみたものの、専業主婦の仕事はかなり肉体労働。ただただ、子どもの笑顔だけに癒される毎日。子どものパワーはすごいな、と実感しながら、専業主婦の時間を満喫した。

子宝に恵まれ、3度の妊娠をしたことで復職と産休・育休を繰り返し、職場には迷惑をかけてきた。そこで、また転機が訪れる。

これまでの広告宣伝の部署から、比較的時間に融通の利くお客様センターへ異動となった。30歳を過ぎてから、また1からのスタートはしんどいな、と思っていたが、またがむしゃらになれる、頑張れることも嬉しく感じた。

本格的に仕事人へ復帰!

時短勤務を利用し、一番下の子が保育園に登園するようになってから、本格的に仕事人として活動。はじめてのお客様対応は、年下の同僚からたくさんのことを学ばせてもらい、気付けば天職かも?と思うまでに。

電話でお客様と話す。メールでお客様を応援する。人の気持ちを大切にできる業務であることが嬉しかった。やりがいも感じた。ただ、一つ欲を言えば…。仕事が楽しすぎて、ワークライフバランスが崩れかかってしまった。

子どもも大事、仕事も大事、家庭も大事。全部大事にしすぎて、わたし自身が生活に追い付けなくなってしまったのだ。

ちょうどそのころ、現職のベンチャー企業社長から、「柔軟な働き方」についてお話をいただくことができ、なんとなく興味を持ちはじめる。しかし、まだ、自分が転職するなんて、考えてもいない頃だった。

小学校1年生の壁

長男が小学校に入学すると、聞いてはいたが「小学校1年生の壁」に激突した。

仕事も子どもも家庭も大事。そんなきれいごとでは済まされない感じだった。毎日が戦争状態だった。

仕事も過渡期で新しいプロジェクトが進んでいた。晴れて(?)その担当になれたが、思うように回らなかった。仕事も、家庭も、わたしも。

「子どもは成長していくから」と「子どもの今を大切にしないと」という選択肢を日々頭で考えるが、考えれば考えるほど答えは出ないもの。そんな時、長男の学校から呼び出し。・・・遅ればせながら、わたしは決断した。

「子どもの今を大切にしないと」という選択肢。

任されているプロジェクトに目途が立つころでの退職を申し出た。

転職を決意

前職を退職する考えに至る前、小学校1年生の壁に激突していたころ、現職のベンチャー企業社長から聞いていた「柔軟な働き方」について真剣に考えるようになる。ありがたいことに、一緒に働かないかというお声もいただき、わたしは真剣に将来を考えた。

当時、長男はよく「お母さんの夢は何?」と聞いてきた。答えられないわたし。だからこそ、真剣に考えたのだ。

間もなく40歳になるという年齢からの転職は正直不安ばかり。ベンチャー企業に転職して、本当に大丈夫だろうか?ワークライフバランスを第一に考えた転職なんて本当にあり得るのか?

何度も何度も社長と話し合いを重ねた結果、さらに「子どもの今を大切にしないと」という選択肢も重なり、これまでお世話になった出版社からベンチャー企業へ転職する道を選ぶことに決めた。「柔軟な働き方」の話を聞いてからおよそ2年。ようやくの決断とも言える。

ここで一番伝えたいのは、転職は決して子どものためだけではないということ。確かに子どもの今も大事だけど、それは一つの選択肢に過ぎず、それ以上に自分の人生をまっすぐに生きる道を選んだのだ。

それが今のウェブマガジンの編集というお仕事。週5日フルタイム勤務。だけどうち3日は在宅勤務。

出勤時はお迎えに合わせて時短勤務。その代わり、在宅時は移動時間がないので、フルタイム以上の生産性を向上!

何より、母が家にいるということが、子どもたちの中で大きな安心感があるようだ。さらに、家で仕事をする姿を見て「頑張ってね」と声をかけてくれることも(静かになることはないが…)。

これまでと全く違った職種だけど、これまでの経験が存分に活かせる仕事。経験が無駄になることなんて決してないと思える、今日この頃。

今は言える。「お母さんの夢は、ウェブの編集やデザインをしていくこと。」これがわたしの働き方スタイル。

現在の職種:ウェブマガジン編集者

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